日日是好日

思い立ったときにだけ更新。大阪→和歌山→高知→奈良在住。現在、医療系大学教員。 音楽にお酒,映画に読書,四季折々のおいしい食べものと楽しみを満喫することと,愉快で情熱的な仲間と語らうことが,バイタリティーの源です。

ご恩返しは後進に

昨日、社会人(医療人)1年生からお世話になった大先輩が亡くなられました。

 

その方は、この数年は一線を退いていたものの、後進の指導・助言に尽力し続け、同時に闘病もされていました。

一時は寝たきり状態でしたが、その後、理学療法に励まれ、歩行練習ができるまで回復されていました。

つい先月も、歩行練習中に私を呼び止めてくださり、少々言葉を交わしたのですが、それが最後となってしまいました。

 

かつては、敏腕の病院経営者として国内を飛び回っている方でした。

私が理学療法士として地元和歌山の病院に就職した1年目のことです。

全日本病院学会で初めての学会発表を博多で行った際、夜のレセプション(当時、レセプションもよく分かっていませんでした)に右も左も分からない私を引き込んでくれました。

私は局長(私はその方を役職名から「局長」と呼んでいました)のあとをついて行くしかなかったのですが、行く先々で局長は呼び止められ、「なんて顔の広い人なんだろう」と驚いたことを覚えています。

 

私は局長の病院で約3年半ほど勤務したのですが、その間、いろいろな局面で私のような駆け出しの若者の話に耳を傾けてくださいました。

例えば、診療報酬に退院前訪問指導料が新設されたときの話。

私はここぞとばかりに当時担当していた患者様の自宅訪問を当時のリハ科長に上申したのですが、いろいろな口実で認めてくれません。

今となっては若気の至りですが、科長の許可を得ないまま、同僚の作業療法士とともに休日を使って自宅を訪問したのです。

そして、夜に病院のリハ室で自分たちなりの報告書(レポート)を作成していたとき。

私たちの気配を察してか、リハ室に誰か入ってくるではありませんか。

焦ったもののどうしようもなく、観念していたのですが、そこに立っていたのは局長でした。

局長は何をしているのか私たちに尋ねましたが、私たちは言い訳などせず、いっそすべて話して聞いてもらおうと。

退院前訪問指導料が新設されたこと、これだけ大切なことなのに科長がなかなか了承してくれないこと(いわゆる愚痴)、一方で勝手な行動をとってしまったことに対する謝罪。

すると、局長は静かにうなずき、帰りが遅くならないように私たちを諭して、その場を去りました。

その後、私たちに対する処罰などなく、それどころか、ある日突然、科長から退院前訪問指導を積極的に実施していく旨の方針が告げられました。

おそらく、局長が何がしかのかたちで動いてくれたのだと私は確信しました。

 

退職時もそうでした。

当時、私は訪問リハビリテーションの必要性を切に訴えていたのですが、なかなかとりあってくれる人はいませんでした。

その後、病院という箱の中に腰を据えている我々の前に来てくれる患者様を対応しているだけでは足りない、逆に、こちらから生活されている方の地域に足を踏み入れていくべきだ、と、それが叶う職場への異動を求めて退職を決意したのです。

このときも退職に関していろいろうるさいことをいう経営者サイドの方々がおられたのですが、局長は他の方々と明らかに違いました。

私の話をしっかり聞いてくださり、そのうえで、これからのリハビリテーション科はどうあるべきか、どのような事業展開が必要か、訪問リハビリは重要か、など、それはまるで経営戦略ミーティングのようでした。

 

退職後も、局長との接点は絶えることがありませんでした。

私が地元の和歌山を離れ、高知の地(理学・作業療法士養成校)に異動しても、毎年会いに来てくれました。

半ば、求人のためでもありましたが、「お前のいる学校の卒業生なら」と、これまで卒業生も大勢お世話になりました。

 

昨年4月、私は拠点を奈良に移しましたが、その後直ちに(5月ごろ)、私に会いに来てくださいました。

その際に仰ったことは「うちの病院のリハ科を頼む」ということでした。

詳細はいえません。

さらにその後、もう一度奈良に来られて、同じことを仰られました。

 

そしていま、私は社会人・医療人(理学療法士)としてスタートをきった、かつて局長がおられた病院に毎月、足を踏み入れ、現場のスタッフとともに臨床にいます。

微力ながら、局長の期待に応えようと、尽力しているのです。

 

かつて勤めた病院に、ふたたび臨床に足を踏み入れる。

再びこんな日が訪れるとは。

そんな機会を、ミッションとともに晩年の局長は与えてくれたわけです。

時代の変遷はあるものの、それに決して翻弄されることのない、揺るがない普遍的なものが局長の教えのなかにはありました。

それを授かることができた幸運は、何物にも代えがたい。

 

とても威勢のいい声とその調子が魅力的でした。

いまもなお、その声がふと聞こえてきそうです。

局長が亡くなった今、局長と酌み交わした酒の分だけ、いやそれ以上の思い出と教えが、私のなかで昇華されていく心もちです。

局長に、これまでの御恩を返すつもりはありません。

局長に頂いた授かり物は、しっかり後輩に伝えていきます。

それこそが、結果として最高のご恩返しのかたちではないでしょうか。

ねぇ、局長!

 

合掌。