日日是好日

思い立ったときにだけ更新。大阪→和歌山→高知→奈良在住。現在、医療系大学教員。 音楽にお酒,映画に読書,四季折々のおいしい食べものと楽しみを満喫することと,愉快で情熱的な仲間と語らうことが,バイタリティーの源です。

幼なじみのこと

私が22歳の春、社会人として勤めに出る直前の3月のことです。

 

ふと思い立って、幼少期を過ごした大阪のアパートを訪ねました。

私は小学校2年生の時に和歌山に引っ越していたので、

それ以来、訪れるのは初めてのことでした。

 

古い2階建てのアパートは当時のまま。

すべてが小さく見えました。

アパートの裏には小さな川が流れており、

そこでオタマジャクシを捕ったりしてよく遊んだものです。

 

私には幼なじみが数人いて、

そのうちの一人(正確にはその兄弟も含む)の家は

アパートに程近い場所で寿司屋を営んでいました。

寿司屋はちゃんと営業していました。

店内に入ると、懐かしいおっちゃんとおばちゃんがいます。

私にはすぐわかりました。

 

ふたりは私を大人の対応でおカウンター席へ案内します。

カウンター越しのおっちゃんとおばちゃんを眺めます。

私から切り出しました。

「この顔に見覚えない?」

ふたりは少し戸惑ったようでしたが、

おばちゃんは「ひょっとして・・」と思い出してくれました。

最後に会ってから15年経っています。

 

驚いたことに、ちょうど自宅に幼なじみがいるといいます。

すぐに顔を出してくれました。

タイムスリップとはこういう感覚に違いないですね。

幼なじみが大人になってる。

 

あの時のこと。

今までのこと。

たくさん話して、空白の時間はすぐに埋められました。

 

おっちゃんにお任せで握って貰った寿司はとても美味しく、

当然のようにお金は受け取ってくれませんでした。

 

そんなことがあって昨年、

さらに15年以上が経過してすっかりアラフォーになった私は

近くで仕事があったのをいいことに

再び大阪のアパートを訪ねました。

 

15年前と同じように

「おっちゃん、誰かわかる?」

今度は前回よりも早く気付いてくれました。

幼なじみは結婚して子宝に恵まれ、

すぐ近くで元気に暮らしているということでした。

おっちゃん、おばちゃんも元気といえど歳を重ね、

昨年は入院したとか。

こちらの両親の心配もしてくれて、

健康の大切さを共感しました。

 

ところで。

 

私には数人の幼なじみがいたのですが、

そのうちの一人が当時随分な泣きべそで。

いつも鼻汁を垂らして、めそめそ泣いている、

そんな友人がいました。

彼は弟との二人兄弟で、母子家庭でした。

お母さんは近くの中華料理店に勤めており、

そのお店から持ち帰る大学芋を私たちによく振舞ってくれました。

 

彼の家は小屋といってもいいみすぼらしい家でしたが、

彼は自宅では一生懸命弟の世話をする優しい男でした。

 

私が転校することになった小学校2年生の夏、

彼は姓が変わりました。

当時は理由がわかりませんでしたが、

両親が正式に離婚したということでしょう。

 

彼とはそれ以来、会うことはありませんでした。

そんな彼がその後どうしているのか、

私は大変に気がかりだったのです。

 

寿司屋のおっちゃんおばちゃんにそのことを尋ねると、

やはりその後、兄弟は苦労を強いられたというのです。

母親はその後再婚したものの、

まともな子育てができなかったようで、

彼ら兄弟は早い自立を求められたと。

 

幼い日々に見た彼の優しい瞳と、

僕の名前を呼ぶ彼の声が呼び起されます。

 

彼はいまどこでどんな風に暮らしているのでしょうか。

あたたかい家庭に恵まれていることを願ってやみません。

 

いつかそんな彼と再会し、

盃を酌み交わして昔話などしてみたい。

 

アパートの裏を流れる小川を眺めながら、

当時の僕らの幻影をみるのでした。